しあわせすぎて泣けることがあるとしたら、こんな風景ではないかなと思いました。
なっちゃんのジャケットを見て。
時はマジLOVEキングダム。
あのライブにおける、表現者としての四ノ宮那月の力量に圧倒された衝撃は未だ鮮烈で、麻薬のように何度も摂取したくなる魅惑のステージを見せてくれているわけですけど。
なんせ、彼の音楽との親密さがすごいなと思う。
以下、過日の拙ツイート引用失礼しますが。
だから覚えてる話すると
エゴイスティックで泣いたな
なっちゃんが音楽に愛されすぎていることを思って
曲調とか衣装とかなんでも良くて、何歌ってもちゃんと彼は音楽と分かり合えるし、天才故の孤独って絶対あったと思うんだけど、それを感じるのも解放してくれるのも音楽なんだろうなって思うともう
ってやつなんですが。
エゴイスティックだけじゃない。
ファンタジック☆プレリュードでの夢の国への誘いっぷり。
ウルトラブラストで
って書き始めた途端、ぐっと喉が狭くなる。泣きそうになって。
もがき苦しんで
と歌う、
あの、その瞬間の世界すべてを味方にして歌う四ノ宮那月を思い出すから。
フォーメーションを変えながら踊り歌う彼の動きに吹く風、舞う髪。その乱れ。
なんか、こういうことだなって思ったんだよ。
何を着て何を歌っても即座に世界を作り上げてしまう。
音楽を理解し音楽に理解され、音楽に鳴らして欲しいと請われる。
彼が歌うと存在するものすべてがそれを喜んで、彼の声で震えた空気までが味方する。
そんな男が四ノ宮那月。
なわけですよ。
だから、ソロアルバムのラインナップを見たら、曲調バラバラ(さっちゃんの存在も強く在る最強楽曲揃い)で、なんかさあ、ソロアルバムお披露目ライブをやるとしたら、何着て歌うのがぴったりなのかな、と思うんだけど。
その楽曲を引っ提げて登場した、ジャケ写のなっちゃんは、もう、やっぱりその存在を祝福されているように見える。最早、世界に。
なんかたぶんさあ、四ノ宮那月は宇宙なんだよね。ひとつの。
そしてその発露……彼の外側にそういうものを出したときの表現が、こんなにも多幸感で巻き上げてくれそうなジャケ写になっていることが本当に、素敵だなと思いました。
セルフプロデュースじゃないですか、このシリーズ、コンセプト的なものが。
別にさ、幸福感に溢れた楽曲ばかりじゃないじゃん、なっちゃん曲。
それでも彼が見せたかったもの。
彼の世界、好きなもの、こうありたいと思う自分の姿がこのアルバムジャケットなのであれば、
四ノ宮那月
なんて大きな天からの贈り物か
と泣けてくる。
愛しさってたぶん彼の形をしている。
エゴイスティック曲中の、彼の視線を思い出す。
暗闇の中、黄金に輝くあの瞳です。
あの目が何を言ってるかなんて、わたしたちは知ってるじゃないですか。
「僕を見て」
でしかない。
あれは、懇願の言葉で紡がれる命令。
わたしは常々彼を「柔らかな暴君」と呼んでいますが、そう。
柔らかくて甘いもので雁字搦めにされて思い通りにしてしまう彼を知っている(個人的意見です)。
だけどね。
それでもというか、故にというか、彼が世界に届けたいものは、ハッピー、しあわせ、でしかないんだなと、実感します。
彼が擁する、頂く、月が、いつもやさしく彼にあることを彼はわかっているから、そのやさしさを(それはつよさであることも彼は知っているから)分けてくれようとしてるんだなあと思いました。
なっちゃんの中で世界は統合され、何も否定せずすべて内包して彼にある。
スケールの大きな彼が好きです。
服のことで言うと、目を奪われてしまうカラフルなパーカの中が、シャツにベストというイケメンコーデなことに悶えた。
ジャケットを脱いだら別の顔か。素敵か。
素敵なんですよね四ノ宮那月さん。ほんっとに。
とにかく服が似合うので何着ててもいい。
色もさ、これは紺の…チノですかね…のパンツ、ブロードのブルーのシャツ、アイボリーのベスト、ほんとすごくベーシックなカラーリングなんだよね。
そこにハッピーを服にしたみたいなパーカー着てる。
普通にこの色が似合うことのすごさ。
アウターとその他は別に色もテイストも相容れるものではないのにこの違和感のなさ。
着こなし力の高さ、相変わらずで腰抜ける。
このパーカジャケット、素材なんだろうな。コットンかな。でもナイロンみたいな、コットンでも防水加工してあるウィンドブレーカー的な、雨も凌げるマウンテンパーカー的なものならいいなと思ってて。
全天候型四ノ宮那月、っていうのが最強だなって。
雨が降ったってきっと彼が晴れやかな気持ちにしてくれるんだろうなって。
お花がね、なっちゃんに持ってもらってうれしいんだろうなって思う。
花言葉とかじゃなくて、色と形がかわいいから、でガーベラを選んだんじゃないかなって思ってます。
ほんと、楽曲ラインナップ胸熱ですね。
どの人もだけど。