感想です。考察じゃないです。思ったことを徒然なるままに。
一十木音也はこの世にいます、というリアルがすごく詰まっていて、そのリアルで窒息しそうになる。
まず吸息音から入るのが
あのね
これは
吸ってればいいとかじゃないんですよ。
まあよく入ってるよね吸う音。でもそこにさ、演出的な、これ入れとけばエモいだろみたいなそんな気持ちが見えてたらもう台無しなわけじゃないですか。
そりゃ吸うじゃん、寺島さん息吸うよ、生きてるし歌うんだから。
でもこれさ。
一十木音也の吸息音だ
と思って
曲も始まってないのにもう頽れそうになるわけ。
なんかわかんない、なんでそう思うのかわからない、でもこの吸息音からあの声が出るってわかるじゃん、わかるから
吸って
音也あ……っ
て思ってるところへ
あの澄んだ一十木音也の声で(声の質として澄んでいると表現したのではなく、一十木音也の声の中でも澄み切ったところの声で、という意味です、もちろんおわかりだと思いますが)、
ただいーまとかえらぬことのーはをー
じゃないですか。
お゛と゛や゛あ゛……っ゛
ですよ。
もう、たまらないよ一十木音也。
たとえばシャニライのプレイだったとしても
1回も涙なくしては聞けないのがこの曲で
だけどね。
音也の過去に かわいそうとかじゃない涙なんだよ。
まず出だしは 音也がいる……!っていう泣きだったと思うのね。そしてやがて、良かったねと その何倍ものありがとう なのかもしれないな、涙の理由としては。
これは感動の涙なんですよ。
一十木音也というアイドルに、感動して泣いているのです。
音也に対してかわいそうと思いたくない、というのがすごくあるんですけど。
生い立ちとか、かわいそうとかあんまり思うと、だって音也は悲しいこともたくさんあったけど、そのときそのときに人の愛はかんじているはずで、さみしい思いもたくさんしたと思うけどなんか わたしごときが憐れむことができることではないのではないかな、と思ってしまう。
なんて言うか、弱いものとして扱いたくない。
笑顔の裏で本当は…云々、みたいな憶測でしばりたくない。
それはたとえば発端は音也が見せてくれた弱さであったとしても、どこからが自分の妄想で願望なのかわからなくなるから。
わたしが弱いものとしてよしよししなくても立派に立って生きて輝いている音也を全力で応援したいし、だからこそたまに見せてくれる(だってOvertheRainbowで、2011年の段階で音也は本当のお前って一体誰?と自分のドッペルゲンガーと会話しちゃってるしさ、いつの日か太陽になりたいと願ってるし)そういう、影をね、そりゃあ光が強いほど影もできるしなと思って受け止めたいんだよね、真っ直ぐ。色眼鏡なしに。やっぱりわたしの思った通りとかわたしはあなたのことわかってる、とかじゃなくてね。
だけど、それとは全然別の話として、彼が培ってきた感性や思考のパターンに、うち震えるほどの悲哀を感じるのは、敬愛だと思いたい。
慈しみを持って一十木音也を愛したい。
というのも。
ただいまと帰らない部屋に帰る音也ってさ
結構最近の音也じゃない?
と思ったんだよね。
施設でもないしトキヤもいない。
デビューしてもまだ、というか、デビューして尚 そうだったのかな、というところからこの曲は始まるんだよ、と思って。
デビューして忙しい日々にさ、それでもひとりの部屋に帰ると、先生に言われてはいって返事をしたあの頃のとおりに「ただいま」って言う音也。
手洗いうがいまでがセット。
そうやって教えられたから。
疲れて帰ってきててただいまを言って手を洗ってうがいをして、ふと鏡を見たら、素の顔がさ、まるで知らない人みたいで。
俺って誰に似てるんだろ?
って、記憶だけではずいぶん頼りない自分のルーツを思ったりしちゃうのって、それってやっぱり迷子だったんだろうなって。
いやもちろん幼少期の記憶として聞いてもさ
すごいんだよ。
さみしくなかったわけはないからね。
でも、忙しさや、環境で、とにかくがんばらなきゃ!って普段はなってるけど、ふと立ち止まると自分がどこから来てどこへ行くかわからなくなるような不安。
そういうものを感じていた音也が
…それってさ 若いうちにアイドルとしてデビューして、日々忙殺されていたら…というかふつうに社畜だったりした場合とかにもね、わりとある状況だと思うんだよね。
だけど、音也の生い立ちをプラスして考えてしまうと、こっちのショックが倍増する仕組み。
なので、この曲は冒頭から
一十木音也という人間を知れば知るほど、ファンであればファンであるほど、静かに奈落の底に落とされるような激情に飲み込まれる
とは思うんだけど
一十木音也という人間の好きなところは
そこに留めておかないんですよ、自分はもちろんのこと、関わった人間を。
すごい、一十木音也。
歌を歌っていたら、アイドルになったら、お父さんに届くかもしれないと思ってたらしいけど
そのすぐ後に
いつか誰かの向日葵に
って言うじゃん
あなた
から
誰か
に対象が広がるところがいいなと思った
それってアイドルになったからだよね。
届けたい人が増えていく。
だけど、だれか なんだよね。
みんな(大勢)に届けたいのと、そのひとりひとり(個人)に向き合ってるのがちゃんとわかる。
一十木音也は誠意のあるアイドルだなあ。
太陽になりたいってどういう心境なんだろうね。
太陽
なければかなり大変なわけだけど
それになりたいっていう壮大で漠然とした独占欲がすごい。
いや、もっとこう明るい方、みんなを照らしたいとか、そういう気持ちなんだろうとは思うけど、
知らないうちに、あなたなしでは生きられない、という状況にさせられるこちらの身にもなって。ならなくていいややっぱ。
そこを気にしないで輝くことを目指して欲しい。
音也は生まれながらのセンターだから。
だから太陽になりたいって思って当然。
おばさんに言われたのは太陽みたいにだっけ?向日葵みたいにだっけ?
どちらにしても音也がなりたいと、こうでありたいと願う光景が明るいものであるといいなと思う。
でさ、なんか生い立ちというか、今までのあらすじ、みたいな歌詞なんだけどね前半。
振り返れるのってもうそこ越えてるからだよね。
過去を越えっていってるけど
愛故にの境地まで行っちゃってんだよ音也。
行っちゃったんだなあ…。
大ヒット曲、『 愛故に 』がどんな曲だか不勉強なのでわからないんですけど、音也は知ってるのかもしれないね。
リスペクトはあると思うんだ、きっと好きな歌なんだ。
でもここで出てきた愛故にってさ、もっと音也発祥だと思う。
あれ?一緒になっちゃった、まあいいか、だってそうなんだもん!
を感じるじゃん。
2回目、…愛故に! ってなってるところがまた、ほんとにそうなんだよ!って感じですごく音也。
愛と呼べる木の下で
って平たく言ったらすっごい駄洒落なんだけど
大発明だよね。
愛と呼べる=I でさ、もちろん1っていう意味スタートなんだけど、つまりは自分のこと。
自分のこと、俺は愛だって言ってるの。俺は愛と呼べるよって。
音也…。大発明だよ。気づきと覚悟。
そんなの、やったー!って感じじゃんね。
一十木音也という名前に拘ってるのってさ、自分のルーツ云々と言うより、俺は俺だよ、ってことだと思うんだ。
なんせ、過去を越えてるから、誰に似てるかわかんないとか一体誰?と思ってた自分を抜けて、心からの笑顔で全力で笑ってるのが俺だから、一十木音也だから、見ててって言ってるの。
そりゃさ、バイバイしたくないじゃん。
ライブ終わったらもう1回1曲目からやりたいじゃん。観たいし。
でも、バイバイは次への約束で、ちがう、約束だって言わないのがすごいなと思ったんだった、すごい誠意じゃない?
わからない未来のこと言わないで、適当なこと言わないで、俺はそう思ってる、そうしたい、に留めたことがすごい誠意だなと思って本当に泣ける。
また抱き合える日が永遠に続きますようにって、だってさ、バイバイしてもまた抱き合える日が来たら、繰り返してたらバイバイじゃなくて永遠だもんね、それをずっと願えることもすごいことなんだよ。音也またすごい大発明なの。
ひとりの部屋にただいまって言うよりバイバイしないでずっと一緒にいたいけど、でも生きてたらまた抱き合える日が来るからそれを繰り返してたら永遠になるね、だからバイバイはその印のキスと一緒だよって、なんかさ、ライブ楽しかったなあってライブ終わった瞬間からたぶん音也は思って、それをずっと考えててさ、しばらく。そしてそういう、でもまた会えるもんね、会いたい気持ちためてまた会えばいいもんね、になるまで、ずっとライブのこと振り返ってくれてるんだろうなってわかるじゃん。
ライブじゃないかも、なんか現場全部、なんなら何もなくてもさ、準備期間も全部、今ならステイホームだった間だってきっと、次に会うの楽しみだなって、繋げて考えてるんだろうなってわかるじゃん。
それでまた会えた日にはさ、本当に全力で楽しくてうれしくて、またね、なんだろうね。
それを、その永久機関を一緒に作りたいって言うのね。
一緒に作りたいよね……!!心から。
全部の俺を見て欲しい
って音也言ったじゃん。
言葉では上手く言えてないかもだから、見ててって言うんじゃん。
見るよね。
可能な限り見るわそんなん。
見てさ、そのまま受け取れるといいなとほんと思う。
きっと音也が意識してないところまで見えちゃう人もいると思う。
見えたもの全部、音也に伝えられたらいいのにね。
その、俺を見ててっていうのが、音也がアイドルなところだなと思うの。
だからわたしは安心して、見えたもの全部、見ていこうと思う。
たとえばマジLOVEシリーズで言ったらさ、どのくらい音也の苦悩とか、過去とか、見えてるファンがいるのかわからないけど
この曲はさ、全部見ちゃってた我々に歌ってるのがわかるよね。
音也が、涙を堪えるためじゃなく上を向いてるんだもうって、ものすごいプレゼントだと思うんだよね、我々への。
そしてその上で、愛故に笑顔を贈りたいと言ってくれるなら
全部の笑顔を残さず、ひとつ残さず見たいよね。
アイドルを好きになってわかったことはさ、やっぱり心に拠り所ができるってことじゃないですか。ちょっと生活を蝕むくらいのそれなんですけど、でもやっぱり、彼が、彼らがいることが、彼らを知らなかった頃より、何倍も何百倍も自分をつよくするじゃないですか。
どれだけ守ってもらってるか、音也は知ってるのかな。
いつでも、ありがとうって思っても、そんなの追いつかないくらいたくさんのものをくれて、さらにありがとうって言うじゃないですかあの人。あの人たち。
ありがとうとずっとずっと言いたい。愛故に。
それでわたしはね、この歌で音也が言いたかったことって、最後の一節だと思うんだけど。
ひとりのときも、君がいるから大丈夫。
ってこと。
あのさ。
歳をとりすぎてしまったせいか、お姫様扱いをされてどれだけ愛を囁かれても、まったくピンと来なくてさ。
あんなに全身全霊で愛を伝えてくれる彼、彼らに、ほんと申し訳ないと、わたしは壁なので、空気中を漂う塵なので、どうぞわたしのことはお気づかいなく、ここで一方的に見てますので、すみません見てて…ってかんじなんですけど、基本的に。
それがよ?
今この音楽を聴く君が
と言われたら、
もしかしてわたしも含まれてる!?
と思わざるを得なくない?
出た。
歌の王子様、それはお前だ一十木音也。
大ショック。
わたしも含まれてるっぽい、という、天動説が地動説に変わるくらいのショックじゃんこれ。
でも、いてもいいのかもって、すごい肯定されてしまって、それがね、音也の力なんだよ。
全部、春歌ちゃんに言ってるんで構わない。
構いません。
でも、すごくね、ファンに届けたいなって思って
漠然としてるのに明確な対象に向けて書かれた歌詞だなと思いました。
そして、こんなに捻たファンにまで わたしのこと?って思わせるのが、一十木音也のアイドルとしての力量だと思いました。
すごく、感動しました。
ありがとう、一十木音也。
これを音也が書いたんだなって、なんの齟齬もなく思わせてくれるうたプリが、本当に大好きだよ。
毎日ありがとう。
これからもよろしくね。